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推薦コメント

「屋根の上に吹く風は」コメント一覧(五十音順)

●安藤優子(キャスター・ジャーナリスト)

自由ってむずかしい。そう言ってこの学校からあらたな一歩を踏み出していった男の子の言葉に、このドキュメンタリーのすべてがギュッとつまっている。昭和のど真ん中の教育を受けた者として、最初はハラハラ、ひやひやでこの学びの場の日常を見ていました。でも、自分で考える、行動する、責任を引き受ける、そんな学びの場があることに、正直うらやましいとさえ、感じました。

●UA(歌手)

どちらかと言うとドキュメンタリーが好きなんですが、すぐにまた観てみたくなるなんて稀ですよね。登場人物全員が知り合いみたいな気になって、子どもと一緒に「あ、この子、がじゅだよね」とか言っちゃって。

●内山節(哲学者)

近代以前の教育は、場とともに展開していた。家族という場、地域社会という場、子どもグループがつくる場、寺子屋という場。いま私たちが直面しているのはこのようなさまざまな重層的な場の喪失である。この映画は、子どもたちが成長していく場をつくりだそうとする人々を映し出している。

●上遠恵子(エッセイスト、レイチェル・カーソン日本協会会長)

緑に溢れた大自然の中に子どもたちの声が響く。そこには昭和一桁生まれの私には想像もできない自由があった。

子どもたちは、その中で創造性、責任感を育んでいく。子どもたちよ!逞しく、明るく君たちの未来を創造しよう。

●キニマンス塚本ニキ(ラジオパーソナリティ・翻訳家)

「素直」という言葉は、従順とか扱いやすいとか、大人にとって都合のいいふうに解釈されがちだけど、サドベリースクールのように自分の感情や欲求に素直でいることが許される環境や関係性って、今の世の中に足りないなって思う。子どもたちが自分に素直に生きられるためには、まず大人たちがもっと素直にならなきゃいけないなぁ。

●五味太郎(絵本作家)

「学歴で人を評価してはいけない」という法律が一発出来ればすべて解決なんだけれどね。「人を殺してはいけない」というレベルでさ。そうなれば、みんな優しく賢く楽しくなれるのにな。なんでそうならないのか、もうしばらく研究してみましょ、大人も子どもも。

●佐藤忠男(映画評論家)

学校教育のあり方については、こうあるべし、という主張を持つ人は非常に多い。
主張だけでなく、自分の信じるやり方を、自分で実際にやっている、という人も少ない。
さらにそれを映画にして世に問うている作品も、そう多くはないがときおりある。
そういう作品を私は見る機会がときたまある。けっこうたいへんな仕事でそうしたことを誰でもやれるはずはないので、これは数としては多くはないが、教育する側、される側の実例として貴重なものだと思う。これは貴重なその実例のひとつである。

●汐見稔幸(教育学者・多様な学び保障法を実現する会 顧問)

学校が揺れている。いろいろな方向から風が吹いてきて。その子にあったところで、その子のペースと内容で学ぶこと。これがその子の人生を決めるという、考えてみれば当たり前のことに人々は気がつき始めた。学校や教育のあり方をめぐる議論が広範に巻き起こることが大事な今、この映画は私たちに風を吹き続けてくれるように思う。

●谷川俊太郎(詩人)

入学して卒業するものではなく、学校は大人と子どものあいだに日々「生まれる」ものだということを私も学びました。

●西野博之(認定NPO法人フリースペースたまりば理事長・精神保健福祉士)

暮らしの中で、子どもたちは遊びながら、たくさんのことを学んでいる。
子どもとおとなが話し合ってつくる学校外の学びと育ちの場。
そこに居るおとなの立ち位置と役割とは?
答えのない問いが続き、モヤモヤも生まれる。でも、ここが大事。
隣にいる人といっぱい語り合いたくなるいい映画ができた。

●ブレイディみかこ(ライター・コラムニスト)

面倒くさいこと(たとえば民主主義)はワクワクするんだ、ということを忘れてしまった大人たち、そして、学ぶことでワクワクなんかするわけがないと諦めている子どもたちにも見てほしい。

●養老孟司(東京大学名誉教授)

淡々と記録される学校の日常には、見ていて多少イライラする場面もあるが、それはこちらが効率性、合理性、経済性を重視する現代社会に毒された大人だから。教育は内容ではなく形式である。中身ではなく器だといってもいい。どれだけ本気で先生が話しているか、それを子どもは見ていて、話の中身は二の次である。背景に映される風景も美しく、子どもたちが成人したのちに、心のうちに帰るべき故郷が生じているだろうことを感じさせる。